11.事例から学ぶ:不妊治療(ARTにおける配偶者同意)
*POINT*
人工授精や生殖補助医療を行う場合には、治療の対象は夫婦・パートナーであることを念頭に、配偶者・パートナーの同意を適切に確認する
今回は、ARTにおける配偶者の同意が問題となった事例をご紹介します。
【事例】(令和4年地裁判決・高裁判決)
夫Aとその妻Bには、不妊治療専門クリニックにおける体外受精・胚移植によって妊娠し、第2子が出生した。夫Aとその妻Bはいずれも、その際に生じた受精胚を凍結保存することに同意し、署名した同意書(凍結保存の有効期間は2年間で、内容の変更や同意の破棄が可能と記載されている。)を同クリニックに提出していた。
その後夫婦は海外に移住したが、上記の胚凍結の約1年9ヶ月後(凍結保存の有効期間内)に、妻Bは日本に一時帰国し、同クリニックで凍結胚の融解胚移植を希望した。妻は医師に対し、「夫が海外にいるため同意書にサインがもらえない。夫は同意しているのでサインなしで胚移植をしてほしい。」と述べた。
医師は、夫A本人に融解胚移植についての同意の有無を確認しないまま胚移植を実施したところ、妻Bは第3子を妊娠した。妻Bから妊娠したことを聞いた夫Aは、同クリニックを訪れ胚移植実施の有無を確認したところ、医師から胚移植に関する同意書に署名を求められたが、同意書が日本語で記載されていたため内容が理解できずそのまま持ち帰った。その後、第3子が出生した。
夫Aは、自分は第3子をもうける意思がなく、移植について説明も受けていないなどとして、医師が自己決定権を侵害したと主張し、第3子の養育費相当額、慰謝料、弁護士費用など合計約3200万円の損害賠償を請求した。
これに対し医師側は、以前に署名した同意書が有効期間内であったことや、妻から夫の同意があると説明を受けていたことなどから、移植実施に問題はなかったと主張した。
【争点と裁判所の判断】
本件の争点は、主に次の2点でした。
- 争点①:医師の過失の有無(=医師には胚移植を実施する前に夫A本人の同意を確認すべき義務があったか?)
- 争点②:夫の損害の範囲(=養育費、慰謝料などが認められるか?)
争点①(医師の過失)について
裁判所は、「個人は、子どもをもうけるか、いつ、誰との間にもうけるかについては人格権の一内容としての自己決定権を有するから、医師が夫の同意を確認することなく本件融解胚移植を実施したことについて、医師は、夫の自己決定権を侵害したものとして不法行為責任があるというべきである。」として、医師には胚移植を実施する前に夫A本人の同意を確認すべき義務があったとしました。そして、医師にはこの義務を怠った過失があると判断しました。
この点について医師は、胚移植の時点まで夫Aから凍結胚保存についての同意意思が破棄されなかったことや、医師には海外に居住する夫Aの連絡先を知る手段がなかったこと、妻Bから夫Aの同意があると説明されたことから、胚移植に夫Aの同意がない可能性について想定することは不可能であったなどとして、「夫の同意があると信じたのは合理的であった」と主張しました。しかし裁判所は、「医師は同意の確認の必要性を十分に認識しており、医師として必要な手続きを怠ったものであり、胚移植の前に夫の同意があるものと軽信して胚移植を実施したことに過失がなかったとはいうことはできない」として、医師の主張を退けました。
争点②(損害の範囲)について
裁判所は、出生した子の養育費については、「子が出生したことによって夫Aが得る、または被る影響は金銭的に算定できないものであり、子の養育費を独立して取り上げ、医師の行為と相当因果関係のある損害と解すべきではない。夫Aの経済的負担の点については、慰謝料の算定に際して考慮されるべきである。」などとして請求を認めませんでした。
その一方で、夫Aが自己決定権を侵害されたことにより被った精神的苦痛に対する慰謝料300万円と弁護士費用30万円、合計330万円の請求が認められました。
【本事例から学ぶこと】
裁判では、夫婦間で十分な意思疎通がなされていなかった事情は明らかになりませんでしたが、この夫婦間では、本件裁判に前後して子の返還、離婚について調停が行われ、後日、離婚が成立しています。胚移植当時において、本件の医師もスタッフも、そのような夫婦間の事情について全く認識していなかったと考えられます。
夫婦・パートナー間の事情は様々であり、多くの場合、本件のように医師やスタッフはそのような事情など知りようがありません。また、不妊治療を行う場合、産婦人科外来に実際に来院するのは主に女性であり、医師やスタッフが配偶者・パートナーと対面で話す機会は限られていることがほとんどです。
本件の裁判所は、「個人は、子どもをもうけるか、いつ、誰との間にもうけるかについては人格権の一内容としての自己決定権を有する」と明示しています。これはリプロダクティブ・ヘルス/ライツとも関連し、不妊治療においては、治療に関与する当事者双方の意思決定が尊重される必要があります。不妊治療における医学的介入では、来院する女性患者のみならず、その配偶者・パートナーも治療の当事者であることを念頭に置き、双方の自己決定権を尊重した診療に努める意識が重要であると考えられます。
不妊治療に従事する産婦人科医は、もし配偶者・パートナーの意思を十分に確認できないまま人工授精や生殖補助医療(ART)を行うようなことがあれば、本件のように思わぬトラブルに発展する可能性があることを認識し、同意書等の書面を用いた治療前の慎重な本人確認・同意確認手続が求められます。なお、本件のように外国人患者の受診も増えている昨今では、外国語にも対応した手続きや同意書等の整備が望まれます。