カンガルーケア中の新生児心停止 〈M 地裁 2016 年1月〉
1.事案の概要
母親は午前9時に第二子(児)を妊娠38週,2,685gで自然経腟分娩した.9時15分頃より児は上体を少し起こした母親の胸の上でカンガルーケアを開始された.その後児の低血糖(28㎎/dL)に対し,5%ブドウ糖液10mLを哺飲させ,9時25分からカンガルーケアが再開された.9時55分,児は顔色不良,全身蒼白で心肺停止の状態で発見された.児は蘇生されたが低酸素性虚血性脳症を発症し重篤な脳性麻痺と なった.
2.紛争経過および裁判所の判断
原告児は2億1,563万円,母親・父親は各々660万円の損害賠償を請求した.低血糖への対応についての過失,経過観察義務違反,説明義務違反などが争点となった.
裁判所は,次のように判示して過失を否定し,いずれの請求も棄却された.
・経過観察義務違反については,少なくとも2011年1月当時,具体的なリスクがない児の場合,パルスオキシメータなどによる機械的モニタリングや医療従事者の同席といった経過観察を行うことが一般的な医療水準の内容となっていたとは認められない.
・説明義務違反については,カンガルーケア自体はリスクを増大させるものではなく, 医療行為というより母子の接触・授乳という自然行為としての側面が強く,詳細な 説明がないと実施できない性質のものではないことから,起こり得るあらゆるリスク,注意点,実施方法を説明すべき法的義務があったとは言えない.
3.臨床的問題点
①カンガルーケアについての説明が分娩前に適切になされていたかどうか
『「早期母子接触」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には,適応基準として「本人(母親)が「早期母子接触」を実施する意思がある」が挙げられている.本症例では,分娩前に,早期母子接触の利点,合併症,方法につき母親に医療スタッフに適切に説明され,母親の意思を確認していたかどうかが問題となる.
②カンガルーケアの方法が適切であったかどうか.
『「早期母子接触」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』に従い,母親の上体は少し起こした状態で実施できていたようであるが,児については,「顔を横に向け鼻腔閉塞を起こさず,呼吸が楽にできるようにする.温めたバスタオルで児を覆う」ことができていたかどうかが問題となる.
③カンガルーケア実施中の児の観察が適切になされていたかどうか
『「早期母子接触」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には「パルスオキシメータのプローブを下肢に装着するか,担当者が実施中付き添い,母子だけにはしない」と記載されているが,本症例ではパルスオキシメータは装着されておらず,スタッフの付き添いもなかった.
④低血糖を発症した児の観察が適切になされていたかどうか
『「早期母子接触」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には,カンガルーケ アの中止基準に低血糖は挙げられていないが,この時の新生児の状態(呼吸障害の有無, ぐったりしているなど)を十分に観察できていたかどうかが問題となる.
⑤児の蘇生が適切になされたかどうか
『「早期母子接触」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』には,「新生児蘇生 法(NCPR)の研修を受けたスタッフを常時配置し,突然の児の急変に備える」と記載されている.本症例では,研修を受けたスタッフによる適切な NCPR が施行されたかどうかが問題となる.
4.法的視点
本件は 2011年の事例であり,当時の医療水準に照らし,過失を否定した.
しかし,『「早期母子接触」実施の留意点(日本周産期・新生児医学会)』令和元年版が発行されている現在においては,本件同様の事例において法的に求められる医療水準や過失の有無を判断するに際し,同書の記載内容が参考とされ,より厳しい判断がなされるものと考えられる.そのため,同書記載の留意点には十分目配りをした上で, 早期母子接触を実施する必要がある.