先天性風疹症候群出生児について担当医師の損害賠償責任を認めた事例 〈T 地裁1992 年7月〉

1.事案の概要

 X の長男(3歳)が 1987年1月下旬に風疹に罹患し,妊娠の可能性を心配した X は排卵推定日から2週間後に医師Yの診察を受けたが,時期が早過ぎるため妊娠については判定できず,風疹について HI 検査を実施した.さらに 10日後医師から妊娠5週5日の診断と前回の検査が陰性と説明を受け,2回目の検査を受けたが陰性だった.妊娠6週0日に X は腹部などに発疹が現れたため,症状を訴え,医師は3回目の HI 検査を手配した.これも陰性であったが,Y は X に1週間後に4回目の検査をすると伝えた.X は誤解により検査日に受診せず,同日,切迫流産の徴候がみられたため,妊娠7週1日から8週1日まで Y の医院に入院し,切迫流産の治療を受けた. Y 切迫流産の予防措置に追われ4回目の検査実施を失念し,その後も風疹の検査・診断を行わなかった.X も Y から風疹罹患の有無について説明がなかったため,風疹に罹患しているとは考えず,Y の医院で女児を出産したが重度の先天性風疹症候群であった.その後行った HI 検査では抗体価が上昇していた.

 

2.紛争経過および裁判所の判断

 X およびその夫は,風疹罹患の有無とその時期の適切な診断を怠った過失があるとして Y に対し 5,500万円の損害賠償を求めた.裁判所は,以下のように判示して, 原告らX夫妻それぞれにつき 450万円の慰謝料と弁護士費用 45万円(合計 990万円)の請求を認めた.

 妊婦から風疹罹患の有無について診断を求められた産婦人科医としては,適切な方 法でできる限り妊婦の風疹の罹患の有無およびその時期を究明し,結果を妊婦らに報告するとともに,風疹罹患による先天性異常児の出生の危険性を説明する義務を負う. 先天性風疹症候群児の出生予防の途はなく産婦人科医が成し得るのは診断の域を超えるものではないとはいえ,生じ得る先天性風疹症候群の重篤さに照らすと,その判断には最大限の慎重さが要求される.

 Y は X が初診時から風疹の感染の可能性のある時期および機会を明らかにして風疹罹患の有無の診断を求め,また2月12日には発疹の症状を訴えて医院を訪れたのだから,Y の義務は X が風疹に罹患しているかを具体的に診断することにある.Y が X の入院時以降のしかるべき時期に4回目の HI 検査を実施していれば X が風疹に罹患していることを容易に発見できたことは明らかであるが,諸事情に照らすと, X の風疹罹患につき確定的な診断を留保した判断には合理性がある.しかし,Y が予定した4回目の検査を実施せず,X に対して風疹罹患の有無につき確定的診断結果を告げないままになった点で,Y が診断義務を尽くさずまたは産婦人科医として尽くすべき注意義務に違背したといえる.

 さらに生まれた子に異常が生じるか否かについて,切実な関心や利害関係を有する親として,重篤な先天性異常が生ずる可能性があると分かった時,それが杞憂に過ぎないと知って不安から解放されることを願い,最悪の場合に備えて心の準備をし,出産すべきかどうか選択すべく,一刻も早くそのいずれであるかを知りたいと思うのが人情である.X および夫が Y に対して求めたのもこのような自己決定の前提としての情報である.この前提が満たされなかったことにより自己決定の利益が侵害された時は慰謝料の対象となる.

 他方,優生保護法〔現母体保護法〕上も先天性風疹症候群児の出生可能性を当然に人工妊娠中絶事由とはされていない.人工妊娠中絶とわが子の障害ある生との選択は両親の高度な道徳観,倫理観にかかわる事柄であり,その判断過程における一要素に過ぎない産婦人科医の判断の的とは次元を異にすることである.付添費用その他のその余の請求について相当因果関係はない.中絶と先天性障害児の育児との間において財産上または精神的苦痛の比較をして損害を論じることは,法の世界を超えたものである.

 以上より,被告Yは風疹の的確な診断ができなかった債務不履行または注意義務違背とそれによる思いがけず重度の先天性風疹症候群の疾患があったという事態となり,先にみたような意味での自己決定の利益を侵害されたものというべきである.

 

3.臨床的問題点問題点

 風疹の診断を的確にできなかった理由として4回目(発疹などの発症から2週間以 上)の検査を行わなかったことが裁判では争点となっており,この時点で検査を行っていれば的確な診断ができた可能性が高い.その根拠として,風疹は接触機会から発症まで2~3週間の潜伏期間があること,そして HI の変化は発症後3~4日以降であるということがある.本症例では,風疹罹患者との接触があった後で,本人には症状の出現していない時(2回目:接触の11日後)と,本人の症状発症直後(3回目:14日後)にそれぞれ HI 検査が行われているが,3回目の発症直後の検査のタイミングで HI 検査が陰性であったことだけでは風疹感染を否定することは難しいと考えられる(ただし,昭和 62年時点でそうした医学的知見が確立していたかどうかは不明).産婦人科診療ガイドライン産科編 2020 の「CQ605妊婦における風疹罹患の診断と児への対応は?」では,「感染診断検査はペア血清 HI 抗体値および風疹特異的IgM 抗体値測定を行う」となっている.発症後HI 抗体値が変化するタイミングについて理解して検査実施の時期を選択し,結果を解釈することが大切である.また風疹特異的IgM 抗体値測定を加えることで診断の一助となる可能性もある.

対応策

 風疹感染を疑った場合は,接触機会あるいは疑わしい症状出現から各種検査値の上昇までの時間(発症後3~4日程度以降,接触機会後4週程度以降)をよく理解し,それに基づいてペア血清検査のタイミングを設定して実施・解釈をすることが重要である.

 

4.法的視点

子が重篤な先天性障害をもって出生した場合に,その親が,もし過失がなければ その子の出生の回避が可能であったと主張して提起する損害賠償請求訴訟(wrongful birth 訴訟),あるいは,出生した子自身が,もし過失がなければその子自身の出生の回避が可能であったと主張して提起する損害賠償請求訴訟(wrongful life訴訟)は,子が出生した場合と中絶などで出生しなかった場合を親の立場から,あるいは障害を もって生まれることと生まれないことを子自身の立場から比較することとなり,親あるいは子自らが,その生命の価値を否定することが前提となるという構造をもつ.

先天性風疹症候群に関する同様の事例は本件を含め4つの訴訟例があり,このうち本件は,妊娠を継続して出産すべきかどうかを決断する機会を与えられる利益の侵害についての慰謝料のほか,医療費・回復訓練費・矯正器具代などの財産損害および障害児の世話をすることに忙殺されることについての慰謝料の支払いを求めたものである. 裁判所は,思いがけず障害児を出産した経緯に着目し,自己決定の利益を,障害児 の親として生きる決意につながる心の準備利益の延長に位置づけ,自己決定利益の侵害を認め,両親に各 450万円という比較的高額の慰謝料を認めた.他方,財産損害や障害児を世話することに忙殺されることについての慰謝料については,先天性風疹症候群児の出生可能性が中絶適応事由に掲げられておらず(=胎児条項がない),複雑な考慮を経た両親による出産判断が介在しているため医師の過失と出産選択との因果関係は否定されること,中絶することと障害児を育てることの間で比較し損害の有無を法的に評価することはできないことを理由として,請求を棄却した.

今後,出生前診断や遺伝学的検査の広がりに伴い,本件類似の事例は増加すると考えられる.現在のところ,自己決定利益の侵害による慰謝料請求のみを認め,財産損害は認めないという判断がなされているが,本件のように比較的高額な慰謝料が認められる傾向にある