帝王切開既往妊婦の経腟分娩による子宮破裂の事例 〈F 地裁2013 年9月〉
1.事案の概要
母親は2009年に当該医院で帝王切開により分娩した際,3年以内に妊娠した場合は帝王切開になること,通常分娩を望むのであれば3年は妊娠を待つ必要があることの説明を助産師から受けていた.
翌年,第二子を妊娠した.医師は経腟分娩を試行することで子宮破裂の可能性があり,新生児科医などがいる施設で経腟分娩をすることが望ましいことを認識していたが,地域において唯一の産婦人科医院であり,経腟分娩を試みなければ地域に居住する妊婦の出産に困難が生じると考えて,経腟分娩の適応であると考えた.手術ではなく普通にお産をすすめて,いざという時はいつでも手術できるようにするとの説明はしたが,子宮破裂などの危険性については説明しなかった.
陣痛発来のため午前1時50分頃に入院,児頭が下降しており,予定どおり経腟分娩が可能であると判断した.子宮口は5㎝開大しており,胎児心拍数陣痛図を用いて50分間観察した.当日助産師は出勤しておらず,看護師に1時間に1回,胎児心拍の聴取を指示した.5時30分頃,母親は腹部にバチンという音とともに痛みを感じ,20分後に看護師に痛みが限界だと伝えた.さらに20分後に医師が診察,腹部が板状硬結し,胎児心拍が60~70回/分で,子宮破裂と診断した.緊急帝王切開により6時33分に出生したが,児は啼泣せず脱力状態で,アプガースコアは1分後1点,5分後2点,NICU に緊急搬送された.自発呼吸は一度もなく,気管挿管,人工呼吸器管理が死亡時まで続けられた.7カ月後,気管切開術を施行,けいれんと体温調節不良があり,心不全を合併し死亡した.
2.紛争経過および裁判所の判断
死亡した児の両親は,2013年6月17日までに,産科医療補償制度による補償金として,損害保険会社から合計960万円の支払を受けた.その後,約5,000万円の損害賠償を請求する訴訟を提起した.
裁判所は,医師の過失(説明義務違反,継続監視態勢を整備する義務違反,子宮破裂を診断し適切な処置をする義務違反)を認め,ほぼ原告の請求額に近い損害賠償を認めた.
医師は,経腟分娩による子宮破裂の危険性とともに,帝王切開の選択肢もあること, 当該医院での経腟分娩を試行する態勢などの必要な情報を説明する義務を怠った.
経腟分娩を試行した場合には,少なくとも分娩が始まった後では,胎児心拍数陣痛図などを用いて子宮破裂の徴候がないか継続監視をする態勢を整える義務がある.この義務を怠り,子宮破裂の徴候を見落として,子宮破裂直後に適切な処置をする機会を逸した.
被告は,地域における産婦人科医院が被告医院のみであり,被告医院においてTOLAC(帝王切開既往妊婦の試験経腟分娩)を実施しなければ,地域のお産に悪影響が及ぶおそれがあると考えて本件においてもTOLACの実施を判断したものであり, 少なくともそのような動機については汲むべき事情であるといえる.また,年間400例から500例の分娩を被告1人で取り扱い,そのような多忙な中でも産婦人科医という重責を担う被告の地域への貢献は相当なものであることは否定し得ない.これらの事情は,慰謝料の算定に当たって考慮すべき事情であるとはいえるが,しかし,本件各過失を正当化できるものとはいい難い.
3.臨床的問題点
産婦人科診療ガイドライン産科編2008では,帝王切開既往妊婦の経腟分娩に際しては,「リスク内容を記載した文書によるインフォームド・コンセントを得る」とされているが,本事例では,妊婦にTOLACにおける子宮破裂の危険性について全く説明されていない.また,陣痛発来して入院後のTOLAC施行中に,分娩監視装置による連続的胎児心拍数モニタリングが行われていないことが判決に影響したと考えられる.TOLACを実施する際には,産婦人科診療ガイドライン産科編の記載に準拠することが重要である.
4.法的視点
本件は,2010年の事例で産科医療補償制度の導入後であり,補償金として損害保険会社から合計960万円の支払を受けたものの,その後に本件訴訟を提起したものであり,このような場合,訴訟では認められる損害額合計から支払済の補償金を除いた金額が認容された.
なお,前述のとおり,裁判所は,当時の当該地域における産婦人科診療体制が直面していた困難な事情に一定程度の配慮を示したものの,結論としては,過失の有無や損害額の算定には影響を与えなかった.