1.コミュニケーションエラー

1.コミュニケーションエラーによる事故事例:手術室での患者取り違え事件(平成13年9月20日横浜地方裁判所判決,業務上過失傷害被告事件)

 医療事故の根本原因としてコミュニケーションエラーがその要因の7割近くを占めるという報告が米国から上がっている.1999年1月に起きた手術室での患者取り違え事故は大きな社会問題となった.その事故の要因としていくつかのコミュニケー ションエラーが内在していることが分かった.その事故の問題点と再発防止のための対策について解説する.

事例の概要

 1999年(平成11年),大学病院の外科手術において,対象患者を取り違えたことにより,肺の一部切除の手術を心臓の病気の患者(A)に,また,心臓の弁の手術を肺の腫瘍の患者(B)に相互に誤って行った事故が発生した.

 

①手術室交換ホールでの患者の取り違え

  • 病棟看護師C は,手術室交換ホールに到着後,2台のハッチウェイに対し平行に, 手術室側にA氏を,その外側にB氏を並べ,「一外のAさんとBさんです」と言った.
  • 手術室看護師Dは,B氏の手術担当看護師E と Fが引き継ぎのためハッチウェイ横に来た時,「Bさん,おはようございます.金曜日にお伺いしたDです.よく眠れましたか」と A氏に声をかけ,A氏は「はい」と答えた.
  • 肺の手術担当看護師E と Fは2人の患者とは面識がなく,Dが「Bさん」と話しかけたことから,A氏をB氏であると思い込み,A氏を,肺の手術を行う12番手術室に移送した.
  • 心臓手術担当看護師G は,B氏に「Aさん,寒くないですか」と問いかけたところ,B氏は,「暑くはないね」と答えた.
  • A氏の手術担当看護師GとHは,B氏を3番手術室に移送した.

 

a.看護師-看護師間のコミュニケーションの問題点

 病棟看護師C は2名同時に患者の引き継ぎを行った.引き継ぎは1人ずつ行うべきであるが,患者受け渡しのルールがなかった.一方,手術室看護師D は手術日の3日前(金曜日)午後3時に,A 氏と B 氏を術前訪問し,面談している.しかし,当日A氏と B氏を混同していた.ただし,引き継ぎの際に患者名を復唱することをルール化しておれば誤りが防げた可能性がある.

 それぞれの手術室で,別の患者でないかと疑問に思ったスタッフがおり,途中協議も行われたが誤りが発見できなかった.事故が起こり得ることを想定しておらず,正常性バイアスが働いていた可能性がある.また,チーム医療としての相互支援の体制 が不十分であり,その一因として権威勾配,セクショナリズムが影響したと考えられる.

対策

  • 引き継ぎの際,患者2名の引き継ぎを行わず,1人ずつ行うことを手順に盛り込みルール化する.
  • 患者の引き継ぎを受ける際に患者名を復唱する.

 

b.看護師-患者間のコミュニケーションの問題点

 手術室看護師Dは A氏に対し,患者確認の際に同時に複数の問いをしている.2人の患者は自分の名前とは違う名前にうなずいたが,これは手術前の緊張に加え,患者A には麻酔前にモルヒネが投与されていて,手術室の緊張のために反射的にうなずいた可能性がある.また,看護師E と F(B 氏の手術担当)は2人の患者とは面識が なく,Dが「Bさん」と話しかけたことから,A氏をB氏であると思い込み,A氏を, 肺の手術を行う12番手術室に移送した.

 一方,心臓手術担当看護師G は,B氏に「Aさん寒くないですか」と問いかけたところ, B氏は,「暑くはないね」と答えた.患者 Bは耳が遠かった.また,手術室の緊張下のもとでは,問いかけの後半部分の寒くないですかに意識が集中して,自分以外の名前が呼びかけられたにもかかわらず,「暑くはないね」と答えている.

対策

  • 医師や看護師が患者を確認する際には,患者に自ら名乗ってもらうのが最も誤りが少ない.また,確認の際には同時に2つの質問をしないように留意する.

 

②心臓と肺の手術室での患者取り違え

 3番手術室では肺癌の患者B 氏に僧帽弁形成術の手術が実施され,12 番手術室では僧帽弁閉鎖不全の患者A 氏に右肺の部分切除が実施された.

心臓の3番手術室

  • 手術担当看護師H と I が,「Aさん,心電図のシールを貼って,血圧計を巻きますよ」と,声をかけたところ,B氏は,「はい」と答えた.
  • 麻酔科医M が患者B に「Aさんですか.おはようございます」と声をかけた時, B氏はうなずいた.この時,喉頭展開の際,歯が全部そろっていること,患者の髪が短く,白髪が多いことに気が付いた.
  • 手術担当看護師I は,患者B氏が剃毛されていないことを麻酔科医V(教授)から指摘され,剃毛とブラッシングを行った.
  • 術中の肺動脈圧,肺動脈楔入圧の値は,術前のものと異なり正常であった.経食道エコーでも,術前の所見と異なり,左心房の拡張を認めず,僧帽弁逆流は軽度であった.
  • 麻酔科医L,M と執刀医N,Q は,「患者は A氏本人ではないのでは」と疑問に思い,議論をしたが,説明し得る変化と解釈した.外科医Y(講師)も肺動脈圧および経食道エコーの所見が術前とは異なること,患者の顔が,以前Y が外来で診察した時の印象と異なることから,「違うのではないか」と言った.
  • 麻酔科医M は,手術担当看護師I に,A氏が手術室に降りているか病棟に確認するように指示し,看護師I は,「Aさんの手術をしている手術室のものです. 医師が患者の顔が違うと言っているんですが,Aさんは降りていますか」と,電話にて病棟看護師に問い合わせた.病棟看護師は,「確かに,Aさんは降りています」と3番手術室内にいる全員に言った.
  • 手術は,午前9時45分に,執刀医N,Q によって開始された.
  • 外科医Y と執刀医X は,検査結果を再検討したが,肺動脈圧の低下,僧帽弁逆流の高度から軽度への変化は,麻酔薬による末梢血管拡張,人工呼吸によって肺うっ血が軽快したことによる心機能改善の結果だと解釈した.

肺の 12 番手術室

  • 麻酔科医(研修医)K(B 氏を術前訪問している)が,「B さん,点滴をやりますよ」と声をかけ,点滴ルートを確保した.患者(A 氏)の背中に貼られていたフランドルテープを見つけたが,「何だ,このシールは?」と言い,フランドルテープを剝がした.
  • 麻酔科医K と,K の指導麻酔科医J は,硬膜外麻酔を開始した.
  • 執刀医R,S,T の3名.本来,B 氏の手術は肺の腫瘍が悪性であるかどうかの確定診断を下し,その結果により摘除することが目的であった.
  • 手術中に,患者(A氏)には,B氏の腫瘍があると術前に診断した部位と同じところに,囊胞様病変が認められたため,術前の所見と大きな矛盾はないと判断し, 囊胞の切除を行った.

 

a.手術室での医師や看護師と患者間のコミュニケーションの問題点

 入室時の患者確認の方法.心臓の手術室では手術室の看護師は「Aさん,心電図のシールを貼って,血圧計を巻きますよ」と,声をかけたところ,B氏は,「はい」と答えた.麻酔科医M が患者B に「Aさんですか.おはようございます」と声をかけた時,B氏はうなずいた.Bさんは耳が遠く,また,肺の手術室でも麻酔科医(研修医)K が,「Bさん,点滴をやりますよ」と A氏に声をかけ,点滴ルートを確保した.ともに緊張状態,患者確認以外に同時に別の質問をしている.

対策

  • ①の手術室交換ホールの際と同様に患者確認の際にフルネームで名乗ってもらえば誤認は避けられた.

 

b.麻酔科医-外科医間のコミュニケーションの問題点

 麻酔科医M は,手術の3日前に A氏を術前訪問している.その時,入歯を外してくるように指示したが,外せなかった.麻酔科医L,Mと執刀医N,Q は,患者は,A氏本人ではないのでは,と疑問に思い,議論した.患者の頭髪がやや短いのは,前日に散髪したと解釈し,さらに,肺動脈圧肺動脈圧が正常化すること,エコーの所 見については,稀にではあるが,病状が変化することもあると考えた.外科医Yは顔が違うと思ったが,別人ではないとすれば,術前検査で高度の病変が認められてお り,また,逆流の部位が同一であることから,検査結果の違いは「経食道エコーでは 解釈できない変化が本人に起こっているためである」と考えた.麻酔科医も外科医も 別人ではないかと疑って議論をしたが,麻酔科医,外科医の間にはセクショナリズム権威勾配が存在した可能性がある.

対策

  • 重大なリスクをチームメンバーが感じた場合,後で述べるチーム STEPPS では相互支援に関して様々なツールがあり,日ごろからその訓練をすることが勧められる.

 

c.手術室-病棟看護師間のコミュニケーションの問題点

 看護師I は,病棟へ電話連絡して,「Aさんの手術をしている手術室のものです. 医師が患者の顔が違うと言っているんですが,Aさんは降りていますか」と問い合わせた.手術担当看護師I から,A氏は病棟から降りているとの返事があった.この問い合わせの確認方法では A氏,B氏の患者誤認は結果的に確認できない.

対策

  • 患者誤認を疑った場合はこの方法では確認ができず,別の手段をとることが必要である.

 

③手術室における医療事故防止策の導入

 この事故を教訓として,手術室での患者誤認についても様々な対策が講じられるようになった.この事故の後,わが国では下記の対策により手術室の医療事故防止策がとられるようになった.

  • リストバンドの導入
  • タイムアウト
  • WHO 安全な手術のためのチェックシートの導入
  • 患者にフルネームで名乗ってもらう

 

2.コミュニケーションエラー防止対策:メンタルモデルの共有とチーム STEPPS

①メンタルモデルの共有

 医療現場では様々な職種や人員が患者ケアにかかわる.しかし医療者として育った環境・バックグラウンドはそれぞれ異なる.当然,方針の食い違いや意見の衝突は多く発生する.各個人が個別に描く思考やイメージのことを認知心理学の用語で「メンタルモデル」という.どんなチームであっても,この「メンタルモデル」の共有ができないと医療事故につながりかねない.

 医療安全を評価する米国の団体である Joint Commission の医療事故の原因を示す図19).医療事故やインシデントが起きた時は,どうしてもマニュアルの徹底や労働環境の整備に注目しがちである.もちろんこれらも重要なことであるが,実際の根本にあるのは,医療チーム内のコミュニケーション,すなわち情報伝達の問題であることが多い.

 情報伝達の食い違いの実例を以下に紹介する.どれも大きな事故には結びつかな かったが,紙一重の差であった.

  • 搬送元は「新生児搬送」と伝達→しかし,搬送先へは「(母体の)心停止搬送」で伝わっていた(「シンセイジ」と「シンテイシ」…).
  • 弛緩出血の既往のある妊婦の分娩時の事例.

 医師「(子宮口)全開大だね.オキシトシン準備しておいて」

 看護師「(点滴)全開ですね.分かりました!」

 分娩後に投与予定のオキシトシンが分娩前に全開投与,寸前で気づきストップ.

  • 妊娠初期の性器出血の患者.

 看護師「妊娠初期の方で性器出血が少しあるとのことで連絡がありました.来院いただいた方がよろしいでしょうか?」

 医師「妊娠初期の出血でしょ?よくあることだから,自宅安静で様子みてもらって, 明日受診するよう伝えて」

 翌日,異所性妊娠破裂,出血性ショックで搬送.子宮内妊娠であると思い込んでいた.

 

②チーム STEPPS

 チームワークを高めて,医療の質と安全性の向上を目指す方法として,チームSTEPPS という米国連邦政府によって開発されたエビデンスに基づいた医療安全のためのチームトレーニング・プログラムがある.これは「医療の成果と患者の安全を高めるために,チームで取り組む戦略と方法」と訳され,4つのコンピテンシーが基本原理となっている(図20)

 そのエッセンスを盛り込んだ,国立保健医療科学院 種田憲一郎先生監修のポケットガイドが,以下のサイトより無料でダウンロードできる.

 ポケットガイド.チーム STEPPS 2.0:エビデンスに基づいたチーム医療 2.0.第 14.1 版 2019 年(訳・編集:国立保健医療科学院)

 

③メンタルモデルの共有のためのツール

 メンタルモデルの共有には,どんな些細な意見も汲み取る職場環境作りが重要である.

 チーム STEPPS には,メンタルモデルの共有に有益なツールがたくさんある.

 有益なツールとして,アサーティブ・コミュニケーション,2回チャレンジルール, CUS,SBAR,チェックバック,ブリーフィング・ハドル・デブリーフィング,議論 の見える化を,以下に紹介する.

 

a. アサーティブ・コミュニケーション(assertive communication)

 コミュニケーションのタイプは概ね以下の4つに分けられる.

  • Passive type(受身的):相手から悪く思われることを恐れるあまり,言いたいことを伝えられないタイプ.攻撃的タイプの人から強く主張されると,たとえ無理な主張であっても,受け入れてしまう.
  • Aggressive type(攻撃的):些細なことに腹を立て,相手の気持ちを配慮せずに自分の意見を一方的に主張するタイプ.
  • Passive-Aggressive type(作為的):相手に対する自分の不満を,相手に直接言わずに,陰口や態度で伝えようとするタイプ.
  • Assertive  type(自己主張的:上記3つの問題のあるタイプに対して対処できるtype である.アサーティブ(assertive)とは,直訳は「自己主張すること」であるが,ここでいう自己主張とは,自分の主張を一方的に述べることではなく,相手を尊重 しながら適切な方法で自己表現を行うことを指す.つまりアサーティブ・コミュニ ケーションは,お互いを尊重しながら意見を交わすコミュニケーションのことである. 医療現場においては,医師の指示が絶対的なものになりやすい.しかしその指示が 必ずしも正しいとは限らない.新人,ベテラン,職種関係なく,どんな些細な意見 や声も汲み取れる職場環境作りが重要である.

 

b. 2回チャンレンジルール(図 21)

 最初のアサーティブな主張が無視された時,確実に聞こえるように少なくとも2回は,自分の懸念を伝えることが医療従事者の責任である.

a. CUS(図 22)

 2回チャレンジルールを実行しても,相手から満足した反応が得られない場合は, 以下のように,素直にその思いや懸念を相手に伝えることが重要である.それぞれの頭文字(Concerned,Uncomfortable,Safetyをとって,CUS(カス)という.

  • I am Concerned(私は心配だ)
  • I am Uncomfortable(私は不安だ)
  • This is a Safety issue(これは安全上,問題がある)

 ここで大事なのは,その懸念を伝える時,主語を「You」ではなく「I」にするこ とである.これをアイ・メッセージ(I  messageと言い,自分の気持ちや考えが明確になる.自分がどう感じているかを主張することは,相手が客観的な姿勢をもつことができ,冷静な判断につながりやすい.You が主語だと,どうしても相手を非難する言い方になりやすい.以下に例を示す.

  • You Message:先生の治療方針は間違っていると思います!
  • I Message:私は先生の治療方針にちょっと不安を感じます.
  • You Message:あなたはなぜ患者さんにそのような電話対応をしたの?
  • I Message:私だったら,そのような電話対応を受けたら,悲しい気持ちになります.

 

d.SBAR/ISBAR

 一般に患者情報を伝達する際には,患者の背景から始まり,一番重要な患者に起きている異常な身体所見・バイタルサインを最後に提示することが多い.しかし,例えば,以下の症例の情報を伝達する場合,どんな順序で伝達するのが適切だろうか?(症例)

  • 62 歳,女性
  • 糖尿病合併,最近あまりかかりつけ医に通院していなかった.
  • 2日前に交通事故で骨盤部の手術を受けた.
  • 術後,なかなか動きたがらず.昨日から左下肢のむくみ出現.
  • 本日,初回歩行後から息切れ出現.
  • 血圧は 120 /50,体温 36 度,SpO2 80%.

 情報を伝達する際に心がけておくべき方法として SBAR という有用な方法がある表13).特に急変や病状の変化などの患者の状態を適切に伝える場合には,まちまちの思いつきの順番である場合はもとより,5 W 1 H の場合でも受け手は情報把握をしにくいことがある.

 SBAR 法は,パイロットの状況ブリーフィングとして開発されたもので,医療の分野においてもマスターすべきコミュニケーション技法の1つであり,患者の状態などを即座に伝え,注意喚起や対応が必要な場合の状況報告(Situational briefing)の方法である.

 最近では SBAR に自己紹介を加えた ISBAR が用いられている(I:introduction: 自己紹介).電話連絡の場合,情報を伝達する前に自己紹介が必要である.受け手側からすると,誰が情報を発信しているのか不明瞭であり,後で問い合わせをする場合や記録の際に困る.

 SBAR に基づき,情報伝達をすると以下になる.

S:62 歳,女性,術後の方です.息切れを認め,SpO2 も 80%に低下しています.

B:骨盤部の手術後2日目で,昨日から左下肢の浮腫を認め,本日初回歩行後よりこのような状態となりました.

A:術後なので肺塞栓症でないか心配です(アイ・メッセージ).

R:すぐに来て,診察していただけないでしょうか?心電図とっておきましょうか? 念のため,循環器の先生にも連絡しましょうか?

 まず優先される情報は,患者の異常な身体所見とバイタルサインの提示である.これを最初に提示されると,受け手も瞬時に疑うべき疾患が想起される.しかし,実際の現場で看護師から医師の伝達において,SituationとBackground で終わってしまうことがある.誤った評価や提案をすることを恐れてかもしれないが,伝えられた医師は「だから?」「どうしてほしいのか?」と感じることがある.常日頃からチームメンバーには,間違ってもいいから現場にいる者として,患者に何が起きているかの評価(Assessment)や懸念を躊躇なく伝えるように周知することが大事である(心理的安全性の醸成).そのAssessmentの伝え方も,アイ・メッセージを用い,間違っていたとしても非難せず,学習の機会とすることが重要である.

 医療機関によっては,常時緊急事態に対応できる体制とは限らず,準備に時間を要することもある.情報伝達の内容次第では対処が遅れ,患者の命運が決まってしまう可能性もある.そのような場合,Recommendation において,ただ「来てください」「診てください」で終わるのではなく,常に先手先手の行動,一歩先の行動の提案をすることが重要である.

 妊婦・褥婦バージョンのSBARシート図23)を提示する.このシートを胸ポケットサイズ(A 7 サイズ)の用紙に裏表に印刷し,スタッフに配布して活用するとよい.

  • 「Situation」では,異常な症状とバイタルサインをまず先に伝える.
  • 「Background」で,妊娠初期の患者の場合,子宮内の胎囊(GS)の有無が確認できているかどうかのカルテの記載を必ずチェックすること.
  • 「Assessment」では,必ず現場にいるものとしての評価をアイ・メッセージで提示する(「~が心配です」「~を起こしそうな気がします」).
  • 「Recommendation」では,一歩先の行動を提案する.一旦医師に連絡したあと, 医師は移動中で,その後の電話連絡に気づかないことが多い.あるいは手術室スタッフが常駐していない医療機関であれば,オンコール医師の来院・診察後に手術室スタッフを呼んでいては手遅れになることもある.

 

e.チェックバック(再確認)(図24)

 分娩や緊急手術の場面では,発信者が伝達した情報を,発信者が意図したように受信者が確実に理解していることを確認する.以下の段階を踏む.

  • ステップ1.発信者がメッセージをまず伝える.
  • ステップ2.受信者がそのメッセージを受け,フィードバック(復唱)をする.
  • ステップ3.発信者はそのメッセージが確実に受信されたことを確認するために, さらにダブルチェックを行う.

 特に緊迫した分娩の場面などでは薬剤の投与ミスが起きかねない.多くはステップ1で終わることが多いため,ステップ2,さらにステップ3の受診の再確認まで行うことで,緊迫した場面でも情報伝達のミスを回避できる.

 なお,受信者が復唱を行う際には,発信者の情報を受信者が紙に記載(メモ)をした上で復唱することにより,情報伝達のミスをさらに回避することが可能となる.

 

f.ブリーフィング・ハドル・デブリーフィング

 メンタルモデルを共有する手段は具体的にはどのように確保すべきであろうか?1 つひとつの分娩や手術などのタスク前に少しの時間でもいいので,スタッフとの作戦会議(ブリーフィング)を行うとよい.

 実際のタスク中には,ブリーフィングどおりにいかないこともあり,作戦変更を余儀なくされる.そのような時も適宜,軌道修正のための話合いの時間(ハドル)をわずかでも設けることが重要である.

 タスク終了後は,振り返りの時間(デブリーフィング)を設け,お互いにフィードバックし合うことが,チームのスキルアップのために重要である.

 

g.議論の見える化:ホワイトボードの活用

 1つひとつの情報を個別に分析するよりも,物事を俯瞰することで見えてくることがある.例えばナスカの地上絵も,地上からは何も見えない.空から眺めると,いろんな幾何学的模様が見えてくる.実際の臨床現場も同じであり,例えば1つひとつのモニターを見るのも大事だが,時系列で見ることで,新たな異常に気づくことがある(図25)

 デブリーフィングにおいて,人vs 人の議論になると,どうしても感情的議論になりやすい.そこでホワイトボードを活用し,マインドマップやグラフィックレコー ディング(グラレコ)などのツールを駆使して,議論を「見える化」すると,人vs人の議論ではなく,人vs 問題の議論になり,感情的な議論を避けることができる(図26,27)

2.チーム STEPPS の具体例:離島の,とある産婦人科の実際の症例

  • 28歳,初産の妊婦.特に合併症はなく,妊娠経過は順調.
  • 妊娠 38週4日の午前4時:夫より「妻が性器出血と腹痛」と電話あり.
  • 夜勤看護師がその尋常ではない状況を察知し,患者にすぐに来院を指示.
  • 同時にオンコール産科医へ「多量の性器出血と持続腹痛の 38 週の妊婦です.胎盤早期剝離でないか心配です.すぐに来てください.緊急帝王切開の可能性も考え, 手術室スタッフも呼びましょうか」と情報伝達(SBAR と CUS.一歩先の行動提案).
  • 産科医「手術室スタッフも呼んでください.患者到着次第,母体バイタル,NST モニター装着とダブルルート確保,採血一式お願いします」
  • 夜勤スタッフ「手術室スタッフ召集,母体バイタル,NST,ダブルルートと採血 一式ですね?」(復唱)
  • 産科医「そのとおりです.お願いします」(チェックバック:再確認)
  • その後,オンコール産科医と手術室スタッフは,同時に病院へ直行.
  • 来院後の NSTモニターで,基線細変動減少とともに最下点ほぼ 80bpm に達する遷延一過性徐脈で,レベル分類5に近い状態.腟鏡診でコアグラ混じりの性器出血あり.腹部エコーでは胎盤後血腫や胎盤肥厚は不明瞭.
  • 医師「臨床的に胎盤早期剝離が疑われるので,緊急帝王切開にしましょう.Aさんは E病院の小児科の先生に分娩立ち会いをお願いしてください.Bさんは先に手術室で帝王切開物品の準備をお願いします.Cさんは患者さんの側について,適宜母子のバイタルチェックをお願いします.私は本人・ご家族へ説明します」(ブリーフィング&メンタルモデルの共有)
  • 麻酔科医不在のため,産科医による脊椎麻酔を施行し,帝王切開決定から 30分後に執刀.明らかな血性羊水,胎盤には 30%の後血腫あり.
  • 児娩出時に小児科医到着.新生児蘇生対応.挿管・人工呼吸管理.新生児は地域周産期センターへ搬送.その後,母子に大きな後遺症は認めていない.
  • 後日,スタッフと共に振り返りを行った(デブリーフィング).
  • 同じ状況をシナリオにしてシミュレーション訓練を実施.次なる胎盤早期剝離事例に万全に対処できるように備えている.