2.カルテの記録と保存

第三者にもわかりやすいカルテ記載
紙カルテしかなかった時代には、手書きのカルテに、良くも悪くも医師らの個性が溢れていました。賢い先輩が整然と記載した英語や独語のカルテも、書いた本人さえ読めないような難読カルテ・暗号カルテも今は昔、電子カルテが随分普及した現在では、カルテが医療従事者間の情報共有、コミュニケーションツールとして果たす役割は極めて大きくなっています。何よりもカルテは、診療した医師にとって、観察事項や医師の認識などの経時的な記録であり、患者の診療のために必要不可欠で中心的なツールです。

しかし、こうした医療機関内部での利用にとどまらず、カルテ等(診療録、検査結果、画像、看護記録等を含む)は、その患者や家族あるいは第三者にも開示され得るものです。患者は、カルテ開示などの手続きを通じてカルテ等を取得することができますし、調停や裁判になれば、「証拠」としてカルテ等が提出され、裁判官や鑑定人(裁判所が選任する医師など)も目にします。

このように、カルテ等が医療機関内のスタッフだけでなく第三者も目にするものだということを普段から意識し、患者の診療経過の客観的な記録として第三者にもわかりやすい記載をしているか、この機会に振り返ってみてください。

 

トラブルになった場合のカルテの重要性
紛争化した場合には、関係した医師と患者・家族だけでなく、その診療に直接携わっていない第三者(医療機関内の他職員、損害保険会社、弁護士、裁判官、調停委員、意見を求められる医師など)も関与しながら、交渉、調停、裁判といった形で解決を目指すことになります。診療に関与していない第三者は、事後的に収集可能な証拠からその事例を検証し妥当な解決を考えるほかありません。紛争解決の中心的な立場にある裁判所は、極めて重要な証拠としてカルテ等を捉えており、ほとんどの事案で、カルテ等の記載を基にいつどこでどのようなことが起こったのか?などの「事実」を認定します。そして裁判所は、認定した「事実」を前提として、過失・責任の有無などについて評価・判断します。ここでいう「事実」とは、裁判所が証拠から認定した「事実」であり現実に起きた事象と同義ではありません。たとえ現実に起きた事象であったとしても、カルテ等に記載がなければ、「事実」として認定されない可能性もあります。

たとえば、出血量が問題となる事案において、ある時点で出血量をカウントしていてもそれをカルテ等に記載していなければ、カウントしたことも出血量も「事実」として認定されず、出血についての必要な監視・観察・対応を怠った過失がある、と判断される可能性があります。つまり、カルテ記載の不備のために、現実に起きた事象とは異なる「事実」が認定され、結果として不本意な評価・判断がなされてしまうことがあり得るのです。逆に言えば、現実に起きた事象をきちんとカルテに記載しておけば、それが重要な証拠となって「事実」が認定され、「事実」についての無用な争いを回避することにもつながります。カルテ等には医学的視点から正確に事象が記録されているはずと考えられており、だからこそ法的にもカルテ等に大きな信頼が寄せられ重要な証拠とされるのです。

 

医学的に優れたカルテ記載は紛争化した場合にも有用な証拠となる
このように説明すると、ただでさえ忙しいのにこれ以上詳細に記録することなど非現実的!などの声が聞こえてきそうですが、これまでのやり方を変えることや、全ての事象を事細かに記載することが求められるわけではありません。

過不足なく要点を押さえたカルテは、医学的にわかりやすく客観的評価に耐えうる優れた記録ですが、法的な視点からも極めて有用です。これまでに培ったカルテの記載方法を大きく変える必要はありません。患者が何を訴え、医師が何を観察し、どのように考え対応したか、という診療過程をカルテに残すこと、医学的な視点から適切な記録をするという姿勢はこれまでと何も変わりません。患者を含む第三者がカルテ等を目にすること、カルテ等が極めて重要な証拠となることを意識しながら記録することで、いい加減な記載、配慮に欠けた記載、個人的な主観のみに基づくメモ書きなどが無くなり、自ずから過不足なく要点を押さえたカルテになり、客観的かつ事後的な検証に耐え得る記録となります。

以下に、紛争の予防・対策の観点から、ポイントをいくつか紹介します。

 

患者への説明文書・同意書の取扱い
手術や侵襲的な検査の際には、説明文書や同意書を示して患者や家族にサインしてもらいカルテに保存されており、それ自体は大変望ましいことですが、他方で、「同意書さえあれば良し!」というものではありません。あくまでも同意書の存在は、患者が説明を受け同意書にサインしたという事実を推認させる事情に過ぎず、その反対の事情(たとえば、「説明が理解できなかったが、医師の高圧的な態度のために質問もできず、同意書にサインしたもののもっと丁寧にわかりやすい説明を受けていれば同意していなかった」など)があれば、有効な同意がなかったと判断される場合もあり得ます。たとえば、患者が医師の説明を理解して同意した事実の根拠として、医師が説明した内容だけでなく、説明に要した時間、患者や家族の言動・反応・質問等を記載しておくなどの工夫が有用でしょう。

残念ながら紛争化する多くの事例の背景には、医師・患者間のコミュニケーションエラーがあり、適切な医療を行なっていても、思いもよらずに紛争化することがあります。この点については、次回のゼミナールでも事例を紹介しつつ考えます。

 

患者の診療経過とは直接関係のない記録(医師個人のメモや医療機関内部の記録)の取扱い
前述の通り、カルテ等は医療機関内部で完結するものではなく、患者も目にし得るものです。他方で、医師の備忘録(メモ)、カンファレンスの議事録、医療安全に関わる記録などは、医師個人や医療機関内での検討や議論の過程の記録であり、個別の患者の診療経過とは直接関係のない医療機関内部の記録です。これらの内部記録がカルテ等と混同して記録・保管され、開示されれば、医療機関内部における自由闊達で忌憚のない意見交換・議論の場を担保できず、それらの本来の目的の弊害となってしまいます。

そのため、個別の患者の診療とは直接関係のないメモや議事録などは、カルテ等とは別の記録として管理すべきです。医療機関内部での議論や検討の結果、個別の患者に対する具体的な治療方針や対策などを決定した場合には、当該患者の診療に直接関わる内容であれば、その結論や概要をカルテに記載しておくと良いと考えます。に記録しておくことが有用であるため、治療方針等の概要・結論のみをカルテに記載しておけば良いでしょう。

 

カルテ等の管理・保存
カルテ等には機密性の高い個人情報が数多く含まれており、厳密なセキュリティ対策の下に管理すべきことは言うまでもありません。医師だけでなく看護師等のスタッフ皆で、個人情報保護に取り組む必要があります。
たとえばカルテ開示は、原則として患者本人からの請求があった場合のみ応じることになります。家族など患者本人以外からカルテ開示請求がなされた場合には、本人の同意の有無を含めて例外的に開示できる場合に該当するかどうかを慎重に判断する必要があります。

また、少なくとも各患者の診療終了後5年間は、カルテ等を保存しなければなりません(医師法は診療録を5年間、療養担当規則は診療録を完結の日から5年間保存しなければならないと定めていますが、この「完結の日」の解釈は定まっていません。)。そのため、トラブルになった場合にカルテ開示請求がなされ、本来保存されているはずのカルテ等がないということになれば、故意にカルテ等を隠匿したと疑われたり、適切な診療をしていないなどと、医療機関としては不本意な評価がなされるリスクが高くなります。

たとえば、妊娠分娩に関する紛争では、分娩監視における過失の有無が争点となることも多く、C T Gの所見が重要な証拠となります。実際に、児の脳性麻痺についての損害賠償請求事件では、紛失を理由にC T G記録が証拠として提出されなかったこと等から、「分娩監視装置を装着していなかった」との「事実」が認定され、分娩監視を怠った過失があるとの判断がなされています(K地判平成30年3月27日。ただし結論として分娩監視における過失と脳性麻痺との因果関係が認められず損害賠償請求は棄却されました。)。