(3)近未来生殖医療に関する法的整備の必要性(石原 理)
第三者のかかわる生殖医療
体外受精などの生殖医療(ART)により,第三者に由来する配偶子(卵子または精子)や胚の使用,そして代理懐胎による挙児が可能となった.例えば,提供卵子を用いるART は,ICMART(International Committee Monitoring ART)の調査によると,2012 年に世界で行われた約136 万周期のART のうち約6 . 1%を占め,前年比で31 %増となっている.また,わが国においても,(提供卵子を用いる治療はほとんどできないため)台湾など外国で卵子提供を受け妊娠する女性が急増している.この背景に,初婚年齢と初産年齢の上昇があり,不妊治療を希望する年齢が著しく上昇してきたことがある.実際,2014 年には,わが国でART を利用する女性の年齢は40 歳が最頻値となり,挙児を期待することの困難な治療が多数行われている現状がある.一方,諸外国では40 歳以上の女性,とりわけ43 歳以上の女性について,自身の卵子によるART が実施されることはほとんどない.
この特殊な状況を作り出した理由は何か.ひとつは法律の未整備である.
ART の導入を契機に多くの国々で整備された,親子法など親子関係を規定する法律がわが国には一切存在しない.子を出産した女性が母であり,そのパートナーが父,配偶子提供者には子に対する権利・義務がないということが,概ねその内容である.そのため,わが国では提供配偶子による子とその両親の法的親子関係には曖昧な部分が残り,すべて判例に依存する.
したがって,今日まで日本産科婦人科学会は,匿名提供者からの精子による人工授精(AID)の適用を,法的婚姻関係にある夫婦に限定し,また卵子提供については,会告では何も述べずに適切な法制定がなされるのを待ってきた.しかし,民法について特例法を制定するなど,何らかの立法を求める2003 年の法制審議会中間答申からすでに14 年が経過する今日も,これは実現していない.
その結果,様々なリスクを伴う海外における提供配偶子を用いる治療を選択するカップルが多数あること,国内の一部で行われる提供配偶子を用いる治療の実態や課題が正しく認知されがたいこと,提供配偶子により出生した子が,その出自を知る可能性を保障するシステム設計について,必要な議論を始めることが困難なことなど,多々問題が生じている.新たな家族形成の方法として,第三者のかかわる生殖は少なくとも正しく社会的に認知され,1 日も早い適切な法制定により誕生した子供たちの権利が守られねばならないはずだ.
変容する家族のカタチ
厚生労働省によれば,少子化に伴って2015 年には,わが国の平均世帯人員は2 . 49人となり,児童のいる世帯は全体のわずか23 . 5%に過ぎなくなった.また,親が離婚した未成年の子の数は約23 万人ある.しかし,近年大きく変容する家族のカタチに影響する要因のうち,未婚化や平均初産年齢の上昇,離婚数の増加は何もわが国に限った変化ではなく,先進国に共通している.一方,諸外国と日本で圧倒的に大きな相違がある点は,婚姻外出生児の比率がわが国では異例に低く3%程度でしかないことだ.ほとんどの先進国でこの比率は20~70 %に分布しており,わが国は韓国と並びきわめて例外的な国といえる.
この背景にあるもっとも重要な要素は,1 人ひとりがもつ家族に対する「思い込み」,すなわち「家族は子供と,血縁関係のあるその父母から構成されるカタチが普通だ」という信念(あるいは幻想)でないか.前述のように,実態はこのような思い込みともはやかけ離れている.しかし,家族についての人々の「思い込み」を書き換えることは,実際にはそれほど簡単ではない.むしろ,まず取り組むべきは,様々な法的制度整備であり,これにより,「思い込み」の「書き換え」を側面支援することが望まれる.
東京都渋谷区は2015 年4 月1 日に「渋谷区男女平等および多様性を尊重する社会を推進する条例」を制定施行した.その中で,「男女の婚姻関係と異ならない程度の実質を備える戸籍上の性別が同一である二者間の社会生活関係」を「パートナーシップ」と定義し,「パートナーシップ証明」の発行を2015 年11 月に開始するとともに,区民と事業所に最大限配慮することを求めた.また,東京都世田谷区は条例制定ではないが,「世田谷区パートナーシップの宣誓の取扱いに関する要項」を2015 年9 月25日に定め,2016 年4 月1 日から施行した.
国連は国連憲章と世界人権宣言に基づき,すでに「性的指向と性同一性を理由とする差別との闘い」をスローガンに掲げており,2012 年9 月には国連人権高等弁務官事務所が関連する各国の法的義務を明確にした.これを契機に,世界各国で法的同性婚を可能にする法改正が一斉に開始された.また同時に,独身女性や同性カップルに対するART を可能とする国が増加した.わが国でも法的拘束力のない条例ではなく,同様な法整備が近未来になされる可能性がはたしてあるのだろうか.ART の対象としての議論はおそらく,その次の段階となるのであろう.
生殖医療の行為規制
ART の発展普及に呼応して,家族法の改正とともに多くの国々,特にヨーロッパ諸国で制定された法律やガイドラインがもう1 つある.それは様々なART の治療手技に関連する行為規制である.もっとも包括的かつ多くの国により参照された法律は,1990 年に英国で制定されたHFE 法(Human Fertilisation Embryology Act)である.
そもそも,ヒトの胚を作製し体外で扱うこと自体に対する,宗教的・倫理的反感や懸念,そして安全性・有用性への疑問や不安が各国のART の行為規制に当初は直接結びついた.また,各国におけるART の受容に関する社会的な温度差により,特に胚の凍結や遺伝性疾患の診断目的で行う胚生検・着床前診断(PGD)についての行為規制には国による大きな差があった.さらに,例えばイタリアでは,胚作成数の制限やすべての胚を新鮮胚移植することを義務づける理不尽な法律が一時制定されたことすらある(Law 40 / 2004).しかし,2015 年以降,イタリア,オーストリア,スイスなどの制限的な法律も順次改正され,ヨーロッパでは概ねリベラルな水準に合わせられつつある.
では,関連する法律がまったく存在せず,医師の自律性に基づく学会ガイドラインによってのみ規制されるわが国の現状はそれでよいのだろうか.
現在,世界的に法的行為規制がかけられるART は,ほぼ限定されてきている.それは,1)代理懐胎(第三者女性への胚移植),2)死後生殖(パートナーの死後の胚移植),3)胚提供(第三者への胚提供と研究目的の胚提供),4)第三者の関与における支払いあるいは代償制限(配偶子提供と代理懐胎),5)移植胚の遺伝的改変などである.このリストをみると,なぜ親子関係を明確にするための民法の特例についての立法が生殖医療の行為規制の必要性を議論するに先立ってまず必要とされるのか,ご理解いただけるのではないだろうか.なぜなら,ART の行為規制は医療者を含む他者のかかわる「生殖」により生まれてくる子供たちの安全と権利を守るところから,そもそも議論をはじめなければならないのだから.