(3)遠隔医療ICT 妊婦・胎児診断

1 )僻地の周産期医療を支える遠隔診断システムの構築(小林 浩)

妊婦見守りシステムの開発

 お産の分野で最も重要な課題は早産を早期に発見し,早期治療することにより莫大な医療費を要する早産児出産を防止することである.妊婦の健康状態を判断し胎児情報を得るためには,定期的な妊婦健診が必要である.前回の診察では異常がなくても突然破水し,陣痛が起こり早産となることがある.早産を早期に予知発見するためには,分娩監視装置による子宮収縮と胎児心音をモニターする必要があるが,大掛かりな医療機器であるため,現状では病院内で妊婦を拘束し生体計測しなければならない.さらに,精密医療機器であり,素人の妊婦が自分で子宮収縮や胎児心電をモニタリングし判断することはできない.
 そこで,我々はこの問題点を解決するため,医療用汎用SoC(System-on-a-chip)デバイスのLS(I Large Scale Integration)化を行い,無拘束・無侵襲で在宅や職場で母体胎児の生体情報をモニターし,判断する方法を開発している.生体情報として母体の子宮収縮をモニターするための子宮圧センサーを開発し,さらに胎児心電を抜き取るために複数の心電図電極内蔵の体表貼りつけ型センサーを開発した.加えてデータ処理や通信手段内蔵の「電子母子手帳」を開発した.そのために筋電位図計測の電極技術や独立成分分析(ICA:Independent Component Analysis)技術を活用して,母体の心電から微小な胎児の心電を抜き取る技術を開発した.
 胎児心拍を計測するために,妊婦腹壁上に配置した電極から胎児心電計測(抜き取り)を試みた.妊婦腹壁上で誘導される電位変化には様々な生体信号(母体心電,筋電など)や外来雑音が混入しており,胎児心電のみを観測することはできない.特に母体心電は観測信号の主な成分であり,胎児心電と母体心電を分離することなく,胎児心拍数を計測することは難しい.なぜなら,母体心電が腹壁上で数百μV から1mV程度であるのに対して,胎児心電はわずか数μV から数十μV の非常に微弱な信号のためである.そこでBSS (Blind Source Seperation)の1 つである独立成分分析ICAを用いて,妊婦腹壁電位から胎児心電の分離抽出を行った.その結果,日本光電㈱脳波計を用いた代替基礎検討実験で,胎児心電抽出を確認することができた.代表例を図15 に示す.母体心拍数の約2 倍の速さを示した胎児心拍を見事に抜き取ることに成功した.現状では90%以上の妊婦の胎児心電抽出が可能となっている.これらの一連の仕事は,大阪電気通信大学医療福祉工学部医療福祉工学科の吉田正樹教授と近畿大学生物理工学部電子システム情報工学科生体信号処理教室の吉田久准教授らの開発である.

 奈良県立医科大学とプロアシスト㈱との共同研究により,「トランポリン方式」腹帯を開発することができた.2010 年1 月10 日に読売新聞全国版で概要が紹介された.図16 はその「遠隔診断IT 岩田帯」の試作1 号機である.
 さらに腹帯の中に内蔵する子宮収縮圧モニタセンサーの開発も行った.開発目的は,妊婦見守りヘルスケアシステムにおいて,妊婦のお腹に装着する胎児心電波形計測用マルチ電極の近くに配置し,胎児心電波形と同時に子宮収縮圧の変化を計測して,その2 つのデータの関連で胎児の診断に役立つ,在宅計測に最適な子宮収縮圧センサーを開発することである.この研究開発は,奈良県立医科大学とニッタ㈱により行われた.現在,直径50㎜,厚さ11㎜,重さ24 g の子宮収縮圧センサーユニットを開発した.

問診機能を付加した電子母子手帳

 母子健康手帳はすべての妊婦が保有しており,妊娠中,授乳中やそれ以降の子供の成長を見守るための必須アイテムである.我々が開発した電子母子手帳は,手入力による「妊婦の毎日の調子を問診すること」と中継器を介した「生体計測情報」を収集しICA などの情報処理を施すことにより,「母体情報」を妊婦に分かりやすく伝えるとともに,Web ネットワークを介しサーバー・医療者用PC と通信し,在宅にて助産師・医師の診断を妊婦に伝えることを可能とする端末機器である.現在,スマートフォンで対応可能とした.その概略を図17 に示す.これは奈良県立医科大学とラステック㈱およびシャイニング㈱との共同研究により実施している.


 妊婦が在宅で計測した生体情報(子宮収縮圧と胎児心拍)の結果が電子母子手帳に表示され,計測終了と同時にサーバーに転送される.この時自動解析アルゴリズムが駆動し,問題がある場合には妊婦に「お知らせコール」が発信される.さらにサーバーに転送された情報は医師用PC に自動ダウンロードされる.胎児が元気かどうかを自動解析した結果を,医師用PC で医師が確認でき,異常時には妊婦にアラームを出すシステムである(図18).将来的には「電子母子手帳」を利用し,在宅ですべての妊婦に安全・安心の周産期医療(すなわち妊婦見守り)を提供することを計画している.

 妊婦もすべての妊娠経過情報を自分のスマートフォンで閲覧することができるため,自分の体重の変化や血圧の推移にも気をつけることができる.例えば,体重が予想以上に増加した場合には胎児への悪影響が予想されるため,適切な栄養指導が病院から自動配信され,妊婦はそれに沿った食事療法を行うことで,未然に発病を予防することが可能になるといった自己学習機能も内蔵されている.もし,それでも体重増加が防止できなければ,実際の栄養指導と同じ食材が宅配便で妊婦宅に配送されるサービスにもインターネットからリンクできるようになる.

将来の産科医療

 現在,産科医減少が大きな社会問題になっており,十分な周産期医療を提供することが困難になっている地域が多い.本ケアシステムが普及すれば,妊婦の異常の早期発見で母体・胎児の生命危機の回避,未熟児・早産による超高額治療費負担の軽減,新生児集中治療室(NICU)不足から生じるたらいまわし事案の解消,など効果は大であり,妊婦にとって24 時間365 日,安全・安心の医療を受けることができる.さらに,産科勤務医にとってもかかりつけ医との連携のもと,役割分担が明確化され,理想の周産期医療を提供することが可能になる.なお,本テーマのネーミングである「妊婦見守りヘルスケアシステム」とは,早産になってから治療をするのではなく,早産の予知・予防対策に力を入れる未病対策としての意味を「見守り」に込めたものである(図19).近い将来,地域のコミュニティごとに妊婦を見守るためのシステムを構築する必要がある.さらに,本システムは妊婦を対象としたものに限定するものではなく,今後増加すると予想される高齢者マンションでの独居老人の見守り,終末期医用における在宅ケアの提供など,地域包括ケアへの応用も期待できる.

2 )クラウド対応超小型モバイルCTGを用いて世界中の胎児をネットで管理(原 量宏)

 発展途上国の妊産婦死亡率,周産期死亡率は大変高く,その対策が緊急の課題とされている.途上国における周産期医療の問題点は,産婦人科専門医,助産師が圧倒的に不足しており,組織的,継続的な妊産婦管理が行われていないことである.我々は,これまでJICA による,タイにおけるモバイルCTG‥ を用いた「妊産婦管理のための遠隔医療支援プロジェクト」に取り組み,高い評価を得ることができたが,モバイルCTG のさらなる小型化が望まれている.そこで我々は,新たに超小型モバイルCTG(プチCTG)を開発した.すでにタイ・チェンマイで試験稼働を行っており,よい成績が得られている.
 プチCTG‥では本体内の電子回路そのものが超音波振動子の筐体の中に組み込まれている.胎児心拍数と陣痛計からの子宮収縮の情報は無線(ブルートゥース)でタブレットに送られ,さらにモバイル通信でインターネットに接続され,最終的に周産期サーバに接続される.
 近未来に,全世界の胎児をプチCTG‥で管理することは,技術的に十分可能である.その場合,扱うCTG‥ の数が膨大になるので,サーバ上にAI による自動診断機能を実装することは必須で,医療のビッグデータ収集の最適なモデルになると思われる(図20).
 最近,モノのインターネット(IoT,Internet‥of‥Things)とよく言われるが,全世界の胎児をネットワークで管理する,胎児のインターネット(IoF,Internet‥of‥Fetuses)をぜひとも実現したいと考えている.

3 )ICT を活用した周産期システムによる地域格差是正に向けた取り組み(小笠原敏浩)

 周産期医療情報ネットワークは,周産期医療の特殊性から他分野のネットワークとは大きく異なる.その特殊性を考慮したネットワーク構築が必要であり,市町村も含め地域の関係諸機関において広く共有できる必要がある.

周産期医療の特殊性

○ 母体(妊娠・分娩・産後)と胎児期から新生児期まで複数の生命を守る.
○ 早産・未熟児・胎児機能不全や母体合併症の悪化などで救急搬送が必要なケースなど救急医療の側面も有している.
○母体合併症を併発すれば,他科との情報連携が必要となる.
○妊娠-分娩-産後,胎児期-新生児期と連続した治療・ケアが必要.
○母子保健法で市町村との連携が必要である.

ICT を活用したシステム

①妊婦(胎児)遠隔医療

 「遠隔医療」とは,映像を含む患者(妊婦)情報の伝送に基づいて遠隔地から診断,指示などの医療行為および医療に関連した行為を行うことであり,「遠隔妊婦健診」とは遠隔医療の技術を用いて妊婦健診を行うことである.

参 考

*厚生労働省医政局長通達「情報通信機器を用いた診療(いわゆる「遠隔診療」)について」の一部改正について
 遠隔診療の適正な実施を期するためには,当面,下記に掲げる事項に留意する必要がある.
(1)初診および急性期の疾患に対しては,原則として直接の対面診療によること.
(2) 遠隔診療は,直近まで相当期間にわたって診療を継続してきた慢性期疾患の患者など,病状が安定している患者に対して行うこと.
(3) 遠隔診療は,直接の対面診療を行うことが困難である場合
(例) 離島,へき地の患者の場合など往診または来診に相当な長時間を要したり,危険を伴うなどの困難があり,遠隔診療によらなければ当面必要な診療を行うことが困難な者に対して行う場合)に行われるべきものであり,直接の対面診療を行うことができる場合や他の医療機関と連携することにより直接の対面診療を行うことができる場合にはこれによること.

周産期遠隔医療の事例(図21)

○遠隔妊婦健診(岩手県立大船渡病院-遠野市助産院)
 遠距離通院の軽減のため,かかりつけ医で妊婦健診を受けておりかつローリスク妊娠と診断された妊婦を対象に1 人1~2 回遠隔妊婦健診を行うシステム.

○先天性心疾患の胎児診断(長野県立こども病院)
 胎児診断率の地域格差をなくすために遠隔診断や遠隔セミナーを全国に普及している.また,胎児診断精査ができる施設は偏在しており,遠隔地に住む妊婦が精査のために遠くの胎児診断精査可能な周産期施設を受診する大きな負担を解消するため胎児遠隔診断を行っている.

②周産期医療情報システム

周産期医療体制

 周産期医療は都道府県が認定している周産期母子医療センターが3 次医療機関として機能し,総合周産期母子医療センター・地域周産期母子医療センター・周産期医療施設の相互連携で成り立っている.周産期医療は総合周産期母子医療センターと地域周産期母子医療センターと周産期医療施設間での情報共有が非常に重要であり,各都道府県で周産期医療情報システムと周産期救急搬送コーディネーターシステムが運用されている(図22).

周産期医療情報システム

○ 周産期医療情報センター(周産期救急情報システムを含む)と搬送コーディネーターの体制が整備されている.
○地域の関係諸機関において広く共有できるよう周産期救急情報システムを改良する.
(周産期医療と救急医療の確保と連携に関する懇談会報告書 平成21 年3 月4 日)

効果的な周産期医療情報システムの事例

○岩手県周産期医療情報システム「いーはとーぶ」
 広大な面積である岩手県では,総合周産期母子医療センターを盛岡市にある岩手
 医科大学に設置し,地域周産期母子医療センターを4周産期医療圏に設置している(図22).これらの医療機関を岩手県周産期医療情報システム“いーはとーぶ(” 以下いーはとーぶシステム)を利用し,リアルタイムに妊婦情報を共有している.

母体・新生児搬送での情報共有

 岩手県で運用しているいーはとーぶシステムは,岩手県内の周産期医療機関をセキュリティの確保された情報ネットワークで結び,妊娠届出から妊婦健診・分娩・産後までの一連の経過を複数の医療機関で共有することができる(図23).妊婦・胎児の情報が搬送先医療機関へ迅速に伝達され,リアルタイム情報共有でハイリスク妊婦やハイリスク新生児のスムーズな紹介・搬送を実現している.

いーはとーぶシステムによる市町村との情報共有

 市町村と医療機関が連携する妊婦見守りシステムとは,いーはとーぶシステムを利用することで,市町村と医療機関で妊婦情報をリアルタイム共有し,妊婦健診未受診妊婦の把握ができる(図24).また,妊婦健診情報や検査データもリアルタイムで共有できるので,ハイリスク妊婦や社会的・家庭的ハイリスク妊婦の情報も市町村に迅速に送信され,市町村では対象妊婦に対して早期に訪問指導が可能になる.

いーはとーぶシステムによる助産師-保健師連携

 また,いーはとーぶシステムを利用することで,産後メンタルヘルスケア,産後うつ病,育児不安などの情報が市町村へリアルタイムに送信されるので市町村でも早期に対応ができる.掲示板形式で書き込みが可能な病院-市町村連携画面でケアに関わるスタッフがリアルタイムに記録を共有することができ,妊婦は病院助産師と市町村保健師から良質なケアが受けることが可能である(図25).
 このようにいーはとーぶシステムは,安心安全な妊娠・出産・育児を支援するための新しい周産期医療情報システムといえる.

いーはとーぶシステムの運用状況

 現在,岩手県内のいーはとーぶシステム登録医療機関は40 / 40 施設で分娩施設は100%登録しており,登録市町村は31 / 33 市町村で県内全市町村の93 . 9%である.
 県内の分娩取り扱い医療機関すべての登録と94 %の市町村の登録が済んでいるので,将来的には岩手県の分娩取り扱い医療機関をリアルタイムで繋ぐ巨大なデータベース(ビッグデータ)が構築され,データベースから岩手県の周産期統計情報を容易に出力することができ,各種提出書類・帳票の作成・出力,学会発表用の統計が容易になるであろう.