2.熊本地震(2016 年 4 月)

1.はじめに

2016年4月14日21時26分,熊本県は突然の強い揺れに襲われた.この前震から始まった「平成28年熊本地震」は,震度7 を記録した 2回の激震とその後 1年間にわたる 4,200回超の余震に特徴づけられ,すべての被災者に肉体的・精神的なストレスと情報の錯綜による混沌をもたらした.特に災害弱者である妊婦や褥婦,新生児への対応は急務であったが,周産期医療に携わる我々にとっても未曾有の災害であったことから,急性期の対応は試行錯誤であった.

今回,我々が発災直後に立ち上げた「熊本地震緊急周産期医療対策プロジェクト」の活動内容を中心として,各種関連機関とのかかわりの実際や本災害における対応から見えてきた課題について報告する.

2.「熊本地震緊急周産期医療対策プロジェクト」について

熊本県では帰省分娩を除いて年間約 16,000例の分娩があり,2016年4月の時点でこれらの妊娠・分娩管理を 49の分娩取り扱い施設が行っていた.熊本地震では,その約半数が集中する熊本市,益城町,阿蘇市を中心に多くの産婦人科医療施設が被災した.そこで,熊本産科婦人科学会は県下の妊婦・褥婦に安全な分娩および産褥期を提供することを目的として,本震直後の 4月 16日夕刻に熊本県産婦人科医会の協力を得て「熊本地震緊急周産期医療対策プロジェクト」を立ち上げた.地震発生直後から順次 6つのステージを設定し(図7),熊本大学医学部産科婦人科学の医局に事務局を設置し,メールやファクシミリを利用し県下の約70施設と情報を共有した.

 

 

3.施設の被害状況の把握と「妊婦トリアージ」

はじめに,産科婦人科施設の被害状況の把握が急務であった.急性期には断線や混線により連絡の取れない施設も存在したが,本震当日の午後には回復した電話回線を用いて直接施設管理者と会話し,具体的な被害状況と分娩受け入れの可否について認識することができた.その結果,水の供給が絶たれたことにより 17施設で分娩の受け入れが困難となっていた.そこで,最重要事項として「妊婦トリアージ」を開始した図8).機能が保たれていた数施設と非被災地域の施設により緊急分娩受け入れ体制を構築すべく,分娩場所が未定となった患者の情報を熊本大学医学部附属病院(現熊本大学病院)産科に集約し,周産期母子医療センターでの入院管理を要するハイリスク妊婦と産科婦人科クリニックでの管理が可能なローリスク妊婦に振り分けた.

 

実際に,地震発生後 3週間までに約100例のトリアージを行った.外来の妊婦に対しては,詳細は後述するが,かかりつけ医と連絡が取れない場合に熊本大学医学部附属病院産科・婦人科に連絡するよう呼びかけ,分娩先が未定となった妊婦の情報を集約した.この際,紙媒体で保管された診療録の散乱や汚染により患者情報の把握および紹介状の作成が不可能となった施設が存在し,妊婦自身が把握する妊娠経過と母子健康手帳に記載された情報が頼りであった.母子健康手帳は「持ち歩くことのできるカルテ」であり,平時より医師や助産師により情報が遅滞なく漏れなく記載され,また妊婦に母子健康手帳を携帯するよう指導することの重要性が再認識された.

ハイリスク妊婦の搬送に関しては,2009年に県下に導入した「周産期医療PHSホットライン」が有用であった.これは周産期医療の主軸となる県内5施設の産科婦人科および小児科に設置されたPHSを用い,受け入れ権限をもつ医師が直接情報を交換するもので,平時より施設間での横断的な情報共有による迅速かつ適切な搬送先の決定を可能としている.本災害時においても,このシステムの活用により電話回線にみられたような混線もなく速やかな母体搬送が可能であった.また,直下型地震であったことから震源地から離れた市町村では地震による影響は少なく,広域搬送の際に新幹線や救急車による陸路搬送も可能であったことは幸いであった.

4.支援団体との連携(物的・人的支援の管理調整)

もう1つの重要な課題は,支援団体との円滑な連携体制を構築し明確化することであった.大規模災害発生時には多方面から物的・人的支援が秩序なく注ぎ込まれるが, 受け皿である被災者側は混乱の渦中にあり,貴重な支援が適切に使用されないことが しばしば問題となる.熊本地震では,前震直後に日本産科婦人科学会震災対策復興委 員会より一報があり,この連絡系統で情報の一元化が図られた.さらには同連絡系統 により日本産婦人科医会との連携も可能となり,両団体の円滑な支援の住み分けによ り,それぞれから人的,物的支援を受けることができた(図9)

支援物資の提供方法としては,被災地の要望を待たずに物資が調達・搬送される プッシュ型支援が採用された.提供物資の依頼先を探し,依頼内容を取りまとめるなどの手間は掛からなかったが,物資を保管する場所の確保に苦慮した.そこで分娩・産褥セットやミルクなどは一旦隣県の福岡県で留め置き,被災地域の産科婦人科施設 に必要な物資が生じた時に事務局を介して連絡し,直接施設へ配送する方式に変更   した.頻回の補充が必要で,比較的場所を取らない物資に関しては事務局で保管した. 被災施設からは,新生児用のおむつやおしぼり,ディスポーザブルの清潔シートなど, 水の供給が途絶えた中で必需とされるものが望まれた.

5.避難所生活や車中泊を強いられた妊婦・褥婦への対応

熊本地震における最大の特徴は,長期に及ぶ余震の影響から避難所生活・車中泊を強いられた多数の妊婦・褥婦が存在したことであった.そこで,

①直ちにかかりつけの産婦人科施設に連絡をする

②かかりつけ医に連絡が取れない場合は熊本大学医学部附属病院産科・婦人科に連絡する

③避難所生活や車中泊を行っている妊婦はエコノミークラス症候群や妊娠高血圧症候群の危険がある

の 3点について周知を試みた.当初は災害時小児周産期リエゾンや DMATの力を借りて避難所に注意喚起の張り紙をしたが,642カ所すべての巡回は不可能であった. さらに避難所を利用せずに車中泊を続けている妊婦が少なくないことが判明したため, 直ちにこれらの注意喚起をテレビやラジオなどのマスメディアを利用した方法に変更した.

次に,夜泣きする新生児にストレスなく授乳できる短・中期的な生活の場を提供するため,熊本県助産師会に働きかけ,非営利団体の施設や人的支援を受けて「産褥ケアハウス」を立ち上げた.数家族がここで生活し新たな住処へ移動していくことができたが,実際には想定したほど利用者が増えなかった.その理由の1つとして,利用者を褥婦と新生児に限定したことで,兄弟姉妹や父親の同居を望む被災者が利用し難かったことが挙げられる.また支援を最も必要とする妊婦,褥婦への周知が行き届かなかったことも一因であろう.

避難所で高度の脱水を来した新生児が DMAT により保護され搬送された事例があった.10代未婚の母親は,避難所生活の中で人目を憚り十分な授乳ができていなかったが,「日に日に泣かなくなっていったので周りに迷惑かからずよかったと思っていた」と述べていた.もとより社会的弱者であることが多い未婚や若年の妊婦は, 災害の混乱下においては孤立し情報を受け取ることすら困難となりやすい.地域の保健師も平時の業務がほとんど行えない状況に陥ることから,発災害時のハイリスク妊婦・褥婦への支援については日頃より検討しておくべき事案であると考えられた.

6.医療従事者の心身ケア

発災から数週間が経過した頃には,医療従事者の心身の健康管理に重点を置いた.

県下の施設にスタッフの休息の重要性を周知するとともに,自施設においても可能な限り上級医師から率先して完全休養をとり,全員が休息を取りやすい労働環境を整えた.自分自身を含む医療従事者も1人の被災者であることを十分に認識し,長期化する災害対応に備えることが求められる.

7.おわりに

熊本地震では一例の妊産婦死亡もなく,また我々の取り組みは防災功労者防災担当大臣表彰を受賞するなど一定の評価を得た.日本は言わずと知れた災害大国であるとともに,1つとして同じ災害はなく,あらゆる可能性を想定して既存の周産期医療体制を活用した地域独自の災害対策を捻出すべきである.我々の経験が広く医療従事者に共有され,対策を立てる際の一助となれば幸いである.